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委員
[ 34] 教育改革国民会議委員名簿
[引用サイト] http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/meibo.html
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1925年生まれ。1947年東京大学理学部物理学科卒業。神戸工業、東京通信工業(現・ソニー)、米国アイ・ビー・エム、ワトソン研究所主任研究員を経て、1992年筑波大学学長に就任した。本年4月より現職。1957年画期的なエサキ・トンネルダイオードの発見という業績により、1973年ノーベル物理学賞を受賞した。その後超格子など半導体量子構造の先駆的研究により1998年に日本国際賞を受賞。また、1974年に文化勲章、1998年勲一等旭日大綬章を受章し、日本学士院会員となっている。主著に『個人人間の時代』(読売新聞社1988年)、『個性と創造』(読売新聞社1993年)、『創造力の育て方・鍛え方』(講談社1997年)などがある。 1933年生まれ。1953年慶應義塾大学在学中に、劇団四季を結成。劇団四季が上演した演劇作品、ミュージカル等の公演のほぼ全作品についての演出、制作を手がけ、さらにベルリン・ドイツ・オペラ、英国ロイヤルシェイクスピア劇団等の海外企画を数多く招聘プロデュース。ミラノスカラ座、ザルツブルグ音楽祭等、海外でのオペラ多数を演出。またイギリス、中国等への海外公演も手がけている。芸術選奨文部大臣賞、アッビアーティ賞、シェイクスピア演劇賞等多数受賞。中央教育審議会、第二国立劇場設立準備協議会、「田園都市構想研究グループ、文化の時代研究グループ」など、多数の政府審議会委員等を歴任し、慶應義塾大学講師も務める。主な演出・製作作品に『ジーザスクライスト=スーパースター』『蝶々夫人』『李香蘭』などがある。 1946年生まれ。1969年東京女子大学文理学部社会学科卒業。1973年東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1977年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学。1978年金沢大学医療技術短期大学部講師。1985年金沢女子大学短期大学講師。1987年北陸大学教養部助教授。1988年金沢市教育委員会委員。1991年金沢市教育長。教育課程審議会委員などを務める。 1958年生まれ。1981年北里大学卒業後、味の素(株)研究所に勤務。1994年大留蒲鉾(株)取締役。1998年山口県PTA連合会会長。1999年社団法人日本PTA全国協議会理事となり、2000年6月より現職。生涯学習審議会委員、NHK中国地方放送番組審議会委員、山口県社会教育委員会の委員も務める。 1961年生まれ。1983年甲南大学経営学部経営学科卒業。1986年バッキンガム大学経済学部卒業。1987年(株)ウエシマ入社。取締役国際部長を経て、1999年代表取締役社長。1999年7月社名を(株)ウエシマコーヒーフーズに変更。 1931年生まれ。1953年東京大学法学部政治学科卒業後、東京銀行に入行。1957年カリフォルニア大学大学院修了。1964年ウシオ電機(株)を設立、社長に就任。1969年日本青年会議所(JC)会頭。1979年ウシオ電機会長。1981〜83年第二次臨時行政調査会専門委員。1995〜99年経済同友会代表幹事。1996年日本ベンチャーキャピタル株式会社を設立、会長に就任。 1941年生まれ。1963年国際基督教大学社会科学科卒業後、PR会社勤務を経て、1969年日本インフォメーション・システムズを設立。企業の文化イベントのプロデュースをする傍ら、マスコミで活躍し、国際、国内の政治経済から食文化・子育てまで幅広い課題に取り組んでいる。税制、雇用、環境、医療など各種審議会委員を歴任し行政改革委員会規制緩和小委員会において教育問題主査も務めた。主著に『子供の躾は免疫主義しかない』(開隆堂出版社1985年)、『どう輝いて生きるか』(海竜社1990年)、『だから女はおもしろい』(海竜社1993年)などがある。 1941年生まれ。1961年京都大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科修了。1966年国立教育研究所、1981年大阪大学助教授、のち教授を経て、1994年京都大学高等教育教授システム開発センター教授、1998年4月同センター長となる。1998年10月より現職。教育職員養成審議会委員、大阪府箕面市教育委員長などを務める。主著に『教育評価』(有斐閣1983年)、『真の個性教育とは』(国土社1987年)、『自己意識の心理学』(東京大学出版会1988年)、『意識としての自己』(金子書房1998年)などがある。 1928年生まれ。京都大学法学部卒業。1963年より京都大学教授、1991年に退官し、奈良県立商科大学学長となる。1994年より現職。2000年に産経新聞社の正論大賞特別賞を受賞。主著は『勝田吉太郎著作集全8巻』(ミネルヴァ書房1992〜1994年)にまとめられている。代表作は『近代ロシヤ政治思想史−西欧主義とスラヴ主義』(創文社1961年)。近著に『思想の旅路』(日本教文社1998年)など。 1948年生まれ。慶應義塾大学工学部卒業、スタンフォード大学Ph.D.。1975年ウィスコンシン大学助教授、1984年一橋大学助教授、1989年教授となり1994年慶應義塾大学大学院政策メディア研究科教授。1999年より慶應義塾幼稚舎長を兼ねる。主著に『ボランティア』(岩波書店1992年)、『ボランタリー経済の誕生』(実業之日本社1998年)、『コミュニティ・ソリューション』(岩波書店1999年)などがある。 1928年生まれ。1952年京都大学理学部数学科卒業。アメリカ、スイスでユング心理学を研究し、ユング派分析家となる。心理療法の体験を通して独自の日本人論を確立した。京都大学教授、国際日本文化研究センター教授を経て、1995年より現職。中央教育審議会委員、「21世紀日本の構想」懇談会座長などを務める。主要な著作は『河合隼雄著作集全14巻』(岩波書店、1997-1999年)にまとめられ、最近の主著には『子どもと悪』(新潮社1997年)、『日本人の心のゆくえ』(岩波書店1998年)、『こころの子育て』(朝日新聞社1999年)などがある。 1943年生まれ。東京大学経済学部卒業。大学卒業と同時に中学校の社会科教師となる。周辺中学の教師たちとプロ教師の会を設立。主著に『プロ教師の道』(JICC出版局1991年)、『学校崩壊』(草思社1999年)などがある。 1938年生まれ。1961年東京大学工学部土木工学科卒業、東京大学大学院数物系研究科土木工学修士課程修了。東京工業大学助教授、教授を経て工学部長。1993年より東京工業大学学長となる。1998年より現職。中央教育審議会委員などを務める。ケンブリッジ大学チャーチルカレッジフェロー。主著に『土の応力伝播』(1978年)、『土質力学』(彰国社1980年)などがある。 1943年生まれ。1966年東京大学経済学部卒業後、日産自動車入社。1973年に日産労組専従。連合の前身である全民労協事務局次長を経て、1986年自動車総連事務局長、1998年会長となる。中央教育審議会委員など政府関係審議会委員を多数務める。 1936年生まれ。1956年オックスフォード大学大学院修了後、オーストラリア外務省に入省。外交官として香港、モスクワ駐在。駐ソ大使館一等書記官などを務める。1969年より『ジ・オーストラリアン』紙東京初代局長、1979年に上智大学教授となり、1995年より現職。大学審議会特別委員などを務める。1990年東京都文化賞受賞。主著に『国際政治と中国』(アジア経済研究所1970年)、『日本人−ユニークさの源泉』(サイマル出版会1977年)、『ユニークな日本人』(講談社1979年)、『誤解される日本人』(講談社1990年)、『内外人がみた日本』(秀英書房1981年)などがある。 1947年生まれ。1970年お茶の水女子大学理学部卒業。1975年東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了。理学博士。1975年ロンドン大学研究員、1985年英国がん研究所を経て、1986年東京大学教養学部助教授となり、1992年より現職。猿橋賞、日産科学賞受賞。科学技術庁顧問のほか、大学審議会、産業技術審議会等の委員を務める。主著に『生命世界の非対称性』(中央公論社1992年)、『日本人の科学』(共著、岩波書店1996年)などがある。 1927年生まれ。1951年東京大学経済学部卒業後、東京海上火災保険(株)に入社。ロンドン駐在、航空保険部長、人事部長を経て、1978年取締役、1987年副社長、1990年社長。1996年会長となる。この間東京海上研究所社長、日本損害保険協会会長(1990年、1994年)を務めた。1995年日経連副会長に就任。国民生活審議会等の委員のほか、日経連教育特別委員会委員長、海外子女教育振興財団会長などを務める。藍綬褒章受章。 1931年生まれ。1954年聖心女子大学文学部英文科卒。1954年『三田文学』に発表した「遠来の客たち」で文壇にデビュー。人間の欲望、詐術、老醜などの重いテーマを、宗教的良心を秘めた軽妙、明朗な文体で作品化した。1993年日本芸術院会員。日本船舶振興会(通称日本財団)理事を経て、1995年会長に就任。臨教審委員、脳死臨調委員も務める。主な作品は『曾野綾子作品選集全12巻』(桃源社)などにまとめられている。最近の著作に『ほくそ笑む人々』(小学館1999年)、『中年以後』(光文社1999年)、『寂しさの極みの地』(中央公論新社1999年)などがある。 1942年生まれ。1964年京都大学法学部卒業。1978年京都大学法学部教授となり1997年より99年まで同大学大学院法学研究科長・法学部長。科学技術会議生命倫理委員会委員、法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議委員なども務める。主著に『現代日本法の構図』(悠々社1992年)、『法的空間』(東京大学出版会1993年)、『法理学講義』(有斐閣1994年)、『現代社会と裁判』(弘文堂1996年)などがある。 1936年生まれ。1958年東京大学法学部卒業後、1958年住友銀行入行、1962年渋谷教育学園常任理事、1970年より現職。日本私立中学高等学校連合会常任理事、中央教育審議会委員なども務める。藍綬褒章受章、エリザベスU世女王大英帝国名誉勲爵士叙勲。主著に『心の習慣』(東京書籍1998年)がある。 1926年生まれ。1952年早稲田大学政経学部卒業。薩摩の苗代川(現・美山)の陶工。1964年薩摩焼宗家十四代を襲名。白薩摩による金襴手や浮彫、透彫の作品の他にも「宗胡録写」を展開したものや、黒薩摩の作品など幅広く手がける。司馬遼太郎の短編『故郷忘じがたく候』の主人公としても知られる。1989年国内初の韓国名誉総領事に就任、日韓交流につとめる。1999年韓国文化勲章受賞。 1933年生まれ。1957年東京大学経済学部卒後、(株)リコーに入社。1974年東京支店長、1983年社長に就任する。1996年会長となり、1997年日経連副会長、東京経営者協会会長に就任。1999年より人事院国家公務員倫理審査委員も務める。1991年藍綬褒章受章。 1944年生まれ。1969年早稲田大学政経学部卒業。1975年東京大学大学院教育学専攻修士課程修了。1978年スタンフォード大学大学院博士課程修了。1979年名古屋大学助教授。東京大学助教授を経て教授となる。青少年の自己形成と学校教育の関連について調査研究を進めている。主著に『子ども・学校・社会』(東京大学出版会1991年)、『教育改革』(岩波書店1997年)など 1931年生まれ。1956年東京大学教育学部卒業。1956年国立教育研究所、1966年お茶の水女子大学講師、1967年助教授、1974年教授となる。1982年同大学文教育学部長、1991年同大学大学院人間文化研究科長を歴任し、1997年退官。中教審委員を務めるほか、教育職員養成審議会と保健体育審議会では副会長となっている。主著に『教育の扉全15巻』(ぎょうせい1991-96年)、『教育行政における法的思考と教育的思考上下』(教育開発研究所1991年)、『生涯発達教育論』(ぎょうせい1996年)などがある。 1931年生まれ。1959年東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。東北大学助教授、国立歴史民俗博物館教授、国際日本文化研究センター教授、白鳳女子短期大学学長を経て、1999年より現職。民族の中の宗教現象にひかれ、そこへ至る人間のからだのプロセスを研究、インドや東南アジアの宗教、ヨーガや座禅などを通して問題の核心に迫っている。主著に『死の民俗学』(岩波書店1990年)、『臨死の思想』(人文書院1991年)、『宗教の力』(PHP研究所1999年)などがある。 1957年生まれ。1980年東海大学卒業。1983年東海大学大学院修了。1977年大学2年の時に史上最年少(19歳)で柔道全日本選手権優勝。その後、全日本選手権9連覇、世界柔道選手権は4タイトルを取り、1984年ロス五輪で金メダル獲得。同年アマチュアスポーツ選手として初の国民栄誉賞を受賞する。1986年に東海大学体育学部助教授、のち教授となる。全日本柔道男子ヘッドコーチや保健体育審議会等の委員も務める。 |